種よ芽を出せ

夫に80万円を返済するためにあれこれするブログです。

ボヘミアン・ラプソディ クイーン

泣きました

映画、ボヘミアン・ラプソディを観てきました。最後の二曲が流れている時はずっと泣いていました。館内から外に出るのが恥ずかしかったです。まあ、おばさんの顔なんか誰も見ていないと思いますが。マイノリティな彼の孤独が伝わって泣いたのか、自分の青春時代と歌が重なってなのかは自分でも分かりません。そのくらい思い入れがありすぎのバンドだったから。あの時代はネットもありませんから、彼らのことを知るのはラジオや雑誌だけでした。テレビは歌謡曲ばかりでロックを流していなかったように思います。大貫憲章氏のNHKのラジオ番組をよく聞いていました。公開録音に行ったこともありました。雑誌は「ミュージックライフ」「音楽専科」を読んでいました。映画を見ていても、このシーンから切り取られた写真なのかと、分かるようなカットが沢山ありました。

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メイクのすごさ

最近、実在した人物の映画を観ると、そのメイクのすごさに驚きます。「エディット・ピアフ愛の讃歌」のマリオン・コティヤール。「最後のマイウエイ」のジェレミー・レニエ。「ウォルト・ディズニーの約束」のトム・ハンクス。ここまでそっくりにできるのかと驚きました。だとすると、ボヘミアン・ラプソディのクイーンのメンバーもそうとうそっくりなんだと思います。でも、「ミュージックライフ」を穴が開くほど眺めていた私には違和感が最後まで消えなかったです。そんな中で本人かと思うくらいそっくりと思ったのはジョン・ディーコンです。でも、彼はひっそりしていますから、印象が強烈でない分、違和感も少ないのだと思います。

マイノリティ

映画は本人にどれだけ似ているかという点を観るのではないです。ただ、当時の大ファンには少し鑑賞の妨げになるかと感じました。フレディのマイノリティとしての苦しみについては、知らないことが多かったです。彼がザンジバルの生まれだということは、知っていました。でも、1970年代にティーンエージャーだった私にはその背景までは知りませんでした。多分その頃、移民(難民)だと教えられても分からなかったと思います。そういうことにこそ目を向けるべきだったのにと、今の年齢になって分かりました。フレディも出自について触れられたくなかったようです。それは、ロックのイメージにそぐわないと考えたからと言われています。まだ、口に出せない時代だったのかもしれません。名前を変え、必死にイギリス人であろうとしたのではないでしょうか。映画の最後のシーンがライブ・エイドだったことは感慨深いです。あんなにもメジャーで、才能にあふれていたのに、立ちはだかる壁の前でひとり孤独でいたなんて悲しい。彼が何度も家族とバンドのことを呼んでいました。家族と思えるような仲間がいても、当時の社会の偏見や差別、古い価値観は彼を打ちのめしたのかもしれません。民族、セクシュアリティエイズ、それについて彼が直接発信したことはなかったように思います。全てを音楽という形に昇華させたのではないでしょうか。フレディ・マーキュリー、唯一無二のアーティスト。1976年4月4日日本武道館(2度目の来日ツアーの最終公演)その場にいられたラッキーを感じています。