種よ芽を出せ

夫に80万円を返済するためにあれこれするブログです。

着物 着付け

着物との出会い

着物を着たことがありませんでした。七五三、成人式、結婚式にも着たことがありませんでした。このまま一生着物を着ることはないだろうと思っていました。また、絶対に似合わないと思い込んでいました。ところが、そんな私が自分で着物を着れるようになっただけでなく、振袖の着付けまでできるようになりました。着物との出会いがあったのです。それは悲しいことが始まりでした。義母が亡くなって、形見の着物のもらい手がいなかったのです。当初は私も辞退していました。一度も着たことがなかったのですから、頂いてもどうすることもできないと思ったのです。ところが、義父が着物を処分すると言ってきました。そこで手芸の材料として使っていいのならということで、私が頂くことになりました。言葉通り、着物にハサミを入れてワンピースを縫ったり、ポーチを作ったりしました。でも、なんだか心がチクチクしていました。

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公民館講座を受講

そんな折、公民館で着付け教室があることを知りました。公民館活動なので、月謝も安かったこともあり、習うことにしました。ところがここにはちょっとした落とし穴がありました。公民館活動の建前は、何かやりたいことがあったらグループを作り、自分たちで講師を呼んで講師には高額でない謝礼を渡すことになっていました。確かに月謝はとても安かったです。

レベルアップできない

始めは着物を着たことが一度も無かったのですから、教えて下さることを覚えれば、全てが上達という感覚でした。教科書の購入は当然問題はありませんでした。必要な着付け小物も全く持っていなかったので、指定の物を購入することもかえってありがたく思えました。ところが講師から呉服屋さんの展示会などにお誘いがあると、とても困りました。なぜなら、義母の形見の着物をどうしようかと思っているのに、新たに購入する気にはなれなかったからです。しかも、私には高価すぎました。着物は一人で着られるようになりましたが、人に着せることやましてや振袖の着付けなどは教えてもらえませんでした。何故なら、講師の所属している流派の制度に公民館の生徒たちも組み込まれていました。大会と言われていたものに参加し、免許をもらわないと次のカリキュラムに進めないようになっていました。大会で留袖を時間内に着て審査を受けないと、最初の段階をクリアできませんでした。形見の中に留袖と袋帯はありませんでしたので、それはネットオークションで安く手に入れました。大会の参加費も払いました。そして、最初の免許を頂きましたが、その先に続く長い道のりを思うとこの教室に通うのもここまでだなと思いました。しかも着付けの免許というのは、各流派ごとに定めているもので、何ら公的な資格でもありません。

着物が集まってくる

教室(流派)から離れても、着物を着ることは止めませんでした。流派指定の補正よりも自分に合った物を購入したり自作したりしました。着物を着て出歩いていると、着物が自然と集まってきました。伯母の形見分けの時も、誰も着る人がいなかったので少し頂きました。伯母は小さい人だったので、コートやショールくらいしか合うものがありませんでした。義母は身長が私と同じだったので、何も直すことなく着ていました。母と妹も、もう着物は着ないからと送ってきました。自分で着ることができないと、着物は厄介なだけです。まず、着付けを頼まないと着れないのですから普段に着るわけにはいきません。着ないものでも箪笥で場所をとっています。また、「これを残して逝かないで下さいね。」とお嫁さんに言われたと、私に着物を下さった人もありました。

人に着せる

私の着物姿を見て、友人が着てみたいと言ってきました。結婚する時に持たせてもらった着物が、しつけ糸がついたまま箪笥に入っているということでした。自分で着れるのだから、同じことを人にすればいいのだと考えて友人に着物を着せてあげました。これは何回かすれば、出来るようになります。友人も喜んで練習台になってくれました。大寄せの茶会に行ってみたり、美術館に行ったり、街歩きしたりしました。子供の卒業式にも二人で着物を着ました。また、友人の娘さんの成人式にも振袖を着つけました。振袖については、別記事で書いてみたいと思います。