種よ芽を出せ

夫に80万円を返済するためにあれこれするブログです。

持ちすぎていた物

手ぬぐい

家の三か所に手ぬぐいを下げています。キッチン、トイレ、洗面所の手拭きです。季節感のあるものも多いですし、すぐ乾くので長年愛用しています。季節ごとに使い分けたり、お土産で買ったりもらったり、数がどんどん増えていきました。それでも、使っているのだから多すぎるものとは考えていませんでした。慣れすぎると、思い込みから離れられないようです。

f:id:avocat1:20181005161050p:plain

寄付

西日本豪雨の時でした。洗濯ができないので使い捨てにしたいので、使用品でよいので手ぬぐいを寄付して欲しいと言われました。その時に、沢山の中から選り好みするような気持にはなれなかったので、7枚を手元に残して全てを寄付しました。三か所にかけているので洗い替えプラス予備の一枚と考えて7枚にしました。

選ばなくてよい気楽さ

今までは、季節ごとに分けて引き出しに入れていました。それでも、今の季節にあっているかどうか手に取って変える時もありました。ひな祭り、鯉のぼり、ハロウィン、クリスマス、今の手ぬぐいは色々な季節ものでいっぱいです。さらに干支のものになりますと、1月くらいは使いますがきれいなままで次の干支が巡るのを待つことになります。そんな風に数が増えていることを当たり前に思っていました。何も感じていませんでした。そして今回思いがけず、必要最低限の数になりました。なんと気楽なことでしょうか。選ばない(選びようがない)ということの心の軽さに驚きました。

選択肢をふやさない

大きな問題とも思えない手ぬぐいのことでしたが、選択肢を増やさない気楽さを知りました。もしかしたら、当たり前の中にまだまだそんなものが潜んでいるかもしれません。

買わない挑戦

今年は二つの物で、買わない挑戦をしています。一つは洋服です。10か月目になりましたが、まったく困っていません。もう一つは服地です。洋裁が趣味ですが、手持ちの生地が無くなるまで買わないことにしました。これには少し例外がありまして、確実に作るもので足りない材料分は買っています。予備の物は買わないようにしています。今年の夏は、手持ちの生地の中から一枚ワンピースを縫って色あせるほど着ました。