種よ芽を出せ

夫に80万円を返済するためにあれこれするブログです。

今を感じる

「子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの」という言葉を聞いたことがありますか。本当にそうでありたいと思います。子供に対して怒るということは、子供と同じレベルになっていることだと自分自身に言い聞かせていました。これは、常に思っていると、気長に子供を待てるようになれました。どちらかというとせっかちな私ですが、子供に対してはどれだけでも待てたように思います。子供時代のやり直しはできないと思っていましたが、子育てと共にもう一度子供時代を生き直したような気がして、本当に子育ては楽しかったです。

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さて、これから行く道に対してはどうでしょうか。子供時代は自分も通ってきた道ですから、一度は知っていることです。これから行く道をどこまで想像できるでしょうか。今日は、洋裁教室の日でした。最高齢の方は85歳です。最近、病気をされたそうで、歩くのもままならない感じです。杖を頼りに歩いています。洋裁の荷物もあります。行き帰りは、息子さんが車で送り迎えしています。息子さんと言っても、私より年長だと思います。最近、駐車場まで荷物を持ってあげています。そんなこと、まったく大したことではないのに、ありがとうと笑顔で言ってくれます。同じ年齢まで、自分にその気力や体力があるでしょうか。杖をついて歩くこと、身体に痛みがあることを人はどれだけ想像できるでしょうか。私にはその経験があるので、杖をついてでも、お稽古に通っている姿には涙が出ます。私はほぼ三か月寝たきりで激痛に耐えたことがあります。その後も杖をついての生活でした。横断歩道も、青信号を見てからでは渡り切れなかったです。赤から青になるのを待ってから渡り始めて、なんとか渡り切ることができました。元気なお年寄りには、追い越されていました。身体の機能が低下する、痛みがあるということが、どれだけ生活の質を下げるのかを知っています。きっと、これが緩やかに進んでいくのが、年を取るということなのかなと思っています。

あの時、この痛みさえなければと何度も思いました。今はその時の気持ちを忘れて、生活しています。あの時、叶わなかった生活を今しているというのに日々の中でありがたく思うことは少ないです。無い物、叶わないもの、失ったものをあんなに乞うくせに、すでに持っている時には忘れているのです。幸せもそれに似ています。幸せを失った時は、悲しみを実感するのに、幸せだった時にどれだけ感じていたでしょう。平凡な幸せや、平凡な毎日のことです。そう気が付いた時に、いつも思うことは、今という時にフォーカスするということです。これは本当に難しいです。今という時しか生きられないのに、過去を思う、未来を描くより難しいのは今という時を感じることです。